先日『Loving Boys Twice as Much: Chinese Women’s Paradoxical Fandom of “Boys’ Love” Fiction』という2016年に書かれた論文を読みました。
ありがたいことに以下URLからダウンロード可能です。
Chunyu Zhang(2016), Loving Boys Twice as Much: Chinese Women’s Paradoxical Fandom of “Boys’ Love” Fiction
(PDF) Loving Boys Twice as Much: Chinese Women’s Paradoxical Fandom of “Boys’ Love” Fiction
とても面白い論文だったので、内容の要約と気になった点を整理しています。原文は英語により不安なところも多いため、要約はメモ程度に受け取ってください。
こちらの論文を読まれた方がいたら、どんな点が気になったか教えて欲しいです!
要約
今論文の舞台は中国。中国の若い女性ファンが、BLを読むことでジェンダーやセクシュアリティ、アイデンティティについてどう考えているかが述べられいる。
同性愛が禁じられる中国の状況上BLは男性同士のパートナーシップを覗き見する、そういった好奇心を満たすものでもあると筆者はまず述べる。そしてBL愛好家がSNS上で実際のゲイカップルを追うことやCP妄想することは、BL小説とインターネットの発達が社会的にはタブーとされるものへのアクセスを可能にしたことを示す。BLを読むことでクィアな人々や中国における当事者の状況について考えることを促され、同時に現実に落胆しつつBLを楽しむ人もいることがインタビューからわかる。しかし彼女たちの考えはあくまで異性愛の規範を逸脱することはなく、限定的なものだ。ここでBLによって女性が視線を獲得することや同時に男性のまなざしと同じ危うさがあることが指摘される。
また男女平等の考えは進んでいれど、まだまだ家父長制の考えは社会の主流。BL愛好家の女性たちは「強い受」に「一人っ子として成功と強さを期待された自分」を重ね、家父長制と離れ調和の取れた真実の愛の物語(=ここではBL)に癒しを求めている。
しかし現実の家父長制をひっくり返すことは難しく、多くの女性がこれに従うのが現実だ。BLは異性愛規範的な欲望を満たし、異性愛規範を強化するものであり、現実を映すものかもしれないことがここで示される。
BLは日常生活から離れ安心して楽しめるファンタジーであるとともに、成功つまりは学業と強く結びつく中国社会において、期待をする主体である親への反抗でもある。「反抗」には社会で同性愛が禁じられているニュアンスも少なからず含むので、中国ではBLファンダムの位置は高くなく隠されたものだ。BLのテキストは公の出版が難しいのに相反しWeb上でアクセスしやすいが、隠語が独特に発達しているように、内部の人間によるジャンルの秘匿性も高く、その行動の特殊性が内部の結束を高めている。
同時にコミュニティ内での相互的な関わりは人によって違いはあれど、決して深いわけではなく、距離が保たれており、個人主義的でもあるといえる。
中国においてのBLファンダムは女性中心のテキストを読み、関わることで独自の意味を生み出す文化的な場である。BLは女性にまなざしを与え、受け入れ難い現実と陳腐な異性愛の物語からの逃避と男性や同性カップルや性に対する好奇心を満たす。異性愛規範について検討する討論の場でもある。
BLが同性愛や性に関する議論をオープンにするように、エンターティメントの形を変えた例がある。2012年のCCTV春晩で、2人の男性パフォーマーがペアにされジョークの種にされたことだ。そして2人のカップリングはSNS上で人気となった。このような話が公の場でなされることは、BL文化が将来の中国においてのセクシュアリティやジェンダー観に女性の影響を与えられることを示すだろう。BL的な読み取りは男性のまなざしに挑戦し、男性主体の社会を脱構築し、女性が社会的に主体となる力を与えるだろう。
よって中国のBLファンダムは若い世代がジェンダーやセクシュアリティについて議論する流動的な場になると筆者は提示する。
もう少し掘り下げて知りたい3点
①インタビューでBL愛好家のヘテロ女性が述べた話
「男性が好きだから男性に集中した物語を読みたいのかもしれない」「BLを読むことで男性を倍愛すことになる」「BLを読むことで自然に男性を鑑賞し、追い求められる」
短絡的にもとれるし見世物的に当事者のステレオタイプな見方を強化することにつながるというのもわかるけれど、このようなヘテロ女性の欲望が言語化されているのは興味深いのではないか。BL進化論などでは書かれなかった欲望のあり方で、ごく個人的には理解できる意見でもある。
②2012年の春晩の例から
中国で鑑賞側のBL的なリーディング能力が高度なことは常に感じている。
現在は廃止されているがWeiboには2021年夏頃まで「CP超话ランキング」という、実在する人間2人を掛け合わせたカップルのランキングが存在した。(CP超话については5時間くらい語れるがここではランキングのみの話をする…)
そのランキングで常にどのカップルが人気かわかるのだが、その日放送されたバラエティ番組の様子が如実に反映される。
中国の配信番組、テレビでBLは放送できないが、こちらの考えを誘導し想像力を刺激してくるように感じられる編集はとても多く、それを視聴者は巧みに読み取るのだ。
ここで思い出すのはタイBLについての論文『Lovesick, The Series: adapting Japanese ‘Boys Love’ to Thailand and the creation of a new genre of queer media』である。
Thomas Baudinette (2019), Lovesick, The Series: adapting Japanese ‘Boys Love’ to Thailand and the creation of a new genre of queer media
ここで筆者は初代BLドラマのLove Sickで、Shipper(人と人の関係性で遊ぶ人)として視聴者を導くキャラクターが存在すると述べていた。
しかし中国の鑑賞者たちがどこで「鍛えられてきた」のか述べる論文に私はまだ出会えていないので鑑賞側のBL的なリーディング能力が高度である、という感想に繋がる。ここは中国の人々にとって何かエポックメイキングな作品が存在するのかを知りたいところ。
③「中国では強い受が好まれる理論」
以上の理論は中国BLについて語られる文章を読んで感じてきたことである。
ここには一人っ子政策での親からの強い期待、そういったものが絡み語られるのだなーと納得した。しかし自分の観測範囲の現状見てると別に猛々しい受好き!という主流でもない。よってその辺りをもう少し知りたい。